ロンドンオリンピック出場の土井杏南さん、昨年の初場所で十両優勝した大栄翔関(高西勇人さん)らが出身校である朝霞市立第一中学校(嶋徹校長、6月現在生徒数826人)。文化面でも、よみたん2016年10月号で紹介した吹奏楽部が全日本アンサンブルコンテストで銀賞を受賞するなど、活躍がめざましい。オリンピック・パラリンピック機運の醸成を図ろうと、朝霞市が3年間にわたり招聘している「JOCオリンピック教室」。同校で平成30年5月29日~31日の3日間にわたり行われたのでリポートします!
※年齢は2018年6月現在

 

●桧野真奈美(ひの まなみ)さん【ボブスレー】

olympic_hinosan3 2006年トリノ、2010年のバンクーバー五輪のボブスレー競技に出場した桧野真奈美さん(38)が講師となり平成30年5月30日、同校2年6組・7組に対し、それぞれ実技と講義が行われた。実技では6チーム対抗でリレーなどが行われた。このリレーは、2人組で座布団のようなマットに座った相手をヒモで引っ張って、滑るように進めるレースだ。カラーコーンのある折り返し地点で、引っ張り役を交代するが、マットから転がってしまう場面もあって盛り上がった。競技は3回戦で、合間に作戦タイムが設けられた。各チームで相談すると順位を上げるチームがあった。

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桧野さんは、「どのようにすればうまくいくかを考えると成功する。もっとよくなろうとするとより成功する。順位はつくが、失敗と成功の繰り返し。ルールを守って頑張ることの大切さを感じてほしい」と生徒へ説いた。

 

教室での講義では、ボブスレーのユニホームやシューズなどの実物を見せながら、200キログラムのカートに2人で乗るボブスレーは18歳からしか出来ない競技と教えてくれた。氷上を走るために鋭いスパイクが付いているシューズは二重になっていた。カートの前に乗る選手が操縦し、後ろの選手は乗ったら頭をずっとしずめ、ゴールでブレーキをかける役割だ。時速160キロほどのスピードが出て、体感速度は500~600キロ。オリンピックでは4本滑って合計タイムで競われる。桧野さんはボブスレーをやるようになってからは、ジェットコースターに乗ってもスローモーションに見えるようになってしまったという。

教室で講義する桧野さん
教室で講義する桧野さん

オリンピックの国別開催数について、日本では①1964年東京、②1972年札幌、③1998年長野、そして④2020年東京と夏季・冬季合わせて4回目となる。「アメリカでの開催数が8回、フランスが6回、それに次いで日本は世界で3位の開催数だから誇らしいと思う」(桧野さん)。2024年夏季オリンピックはパリ(仏で7回目)で、2028年はロサンゼルス(米で9回目)で行われる。

 

◎オリンピックバリューについて

①エクセレンス(卓越)=全力で頑張る、あきらめない、一生懸命、努力を積み重ねる、ベストを尽くす

②フレンドシップ(友情)=信頼、協力、応援する、感謝、フェアプレー、チームメイトを信じる、助け合う

③リスペクト(敬意・尊重)=思いやる、ルールを守る、感謝、フェアプレー、尊敬

 

桧野さんにとってのオリンピックバリューとは?について、自身の体験を語られた。北海道出身で帯広のスピードスケート選手だったが、じん帯を切ってしまう大けがをした。それで、体育の先生になろうと大学で学んでいた。ボブスレーの選手になるテストがあって、挑戦してみようかなと思った。人生一回で、選択権は自分にあるから、やらないで後悔するよりやるべきだとボブスレーの選手となった。それからは、先輩に追いつこうと思って、練習でプラスアルファをするようになった。例えば、監督が腹筋30回と言ったら31回、100メートル走なら101メートルを走るなど、ほんのちょっとプラスした。そうした小さな積み重ねが大事で、小さながんばりを続けていった。

 

ボブスレーでは、競技の練習などほとんど海外で過ごす。外国でユニホームを切られたり、シューズを隠されたりと、いじわるをされ悲しかった。外国なので家に帰ることもできず、ずっと泣いていた。そんなとき、チームメイトが寄ってきて「真奈美もつらいが一緒にがんばろう」、「大丈夫だからがんばろう」と言葉をかけてくれた。その言葉にうれしく、生き返った感じがした。人が嫌がることはしてはいけないとも思った。

 

2001年ソルトレークシティ五輪出場にもれた12月、けが手術の予約をしたら2012年2月21日だった。膝じん帯の手術後、ちょうど2月21日に行われたソルトレークシティオリンピック(ボブスレー競技)をテレビで観て、「何で行けなかったのだろう」と泣いた。テレビの中で全力で戦っている選手はすごいと思われ、次こそは絶対にテレビに出てやろうと誓った。2月21日は一生忘れない。

 

その後のリハビリ生活では、1日数歩しか歩けない。一生懸命やってもできないことがあると心が崩壊した。先生(医師)の顔も見たくないとわっーと泣いたら、「そんなに悔しいのだから本物だよ」と先生から言われた。自分に数パーセントの可能性があるならと、次のトリノ五輪に行くことが出来た。このバリューが大切と分かり、「つらいときに途中であきらめないで良かった」と桧野さんは振り返った。

 

大けがによる数度の手術や長期リハビリを経験してきた桧野さんは、「けがを挫折とは思っていない。もう1日、もうちょっとだけやってみようとやっていると少しずつだが、状態が変わった。だから、挫折ではなく通過点だ。オリンピックバリューは日常でもたくさんある。人生は1回だからチャンスに向けてどんどんやってみよう。可能性はたくさんあるのですから」と生徒へエールを送っていた。

 

バレーボール部に所属する橋本颯花(ふうか)さん(中2)は、「部活ではきついこともあるが、チームメイトと付き合いながら、あきらめないで続けることが大切と感じました」と授業の感想を話していた。

 

その③岡里明美さん【バスケットボール】は⇒こちら